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厳しい自然と豊かな恵みに生きる海町、串本港で感じた人情
2010.07.27

何年も前のことだ。昇り鰹を追って、荒ぶる高波の中、高知から横浜港へ向け小さな漁船に乗ったことがある。天候は雨、紀伊半島までは、3mを超える高波と強烈な東風に小船は翻弄され、視界もなく、レーダーに頼っての航行は、針路を維持することもままならず、速力を上げられない苦しい航海であった。もちろん、そんなシケの中、とてもカツオ漁どころではない。中継基地となる串本港へやっとの思いでへ辿り着いた頃には、空暗く、入港予定時間を2時間あまりオーバーしていた。

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それでも、防波堤に守られた港内に入ると、バウの日本国旗は暴れ続けてはいたが、外洋の強風と荒波が嘘のように静かに感じた。生きている。それだけでホッとした。仕事の合間、今も少ない休日に向かう大海原では、人生の大半を無心に戦ったレースや、趣味の空手以上に恐怖心を感じる時が多々ある。海、大自然とは、人知など到底及ばぬものと、あらためて痛感した一日であった。

串本で過ごした時間は短かかった。明朝4時の出航へ向け、乗員全員手分けして、燃料の給油、船体の点検に釣具の整備と、港でも仕事は終わらない。8時を過ぎて、ようやく一段落。船員皆で銭湯へ走った。もう春とはいえ、雨、波にびしょ濡れになった体はすっかり冷え冷えに。そんな時は、暖かい風呂が何よりだ。荒波を乗り越えた安堵と共に湯に飛び込むと、思わず仲間全員の唸り声が上がる。

串本は、鰹の一本釣り船団を束ねる母港として、昔から名を馳せる歴史ある港町。その理由は、本州にありながらも、南へ大きく張り出した紀伊半島の最南端に位置していることから、歴史的に鮪、カジキ、そして鰹と、回遊魚が辿る黒潮の通り道に近いことがその理由だ。

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だが、その反面、場所柄一年を通して風雨が強く、シケることが多い荒ぶる海に依存する生活は、決して楽ではないという。自然の豊な恵みの恩恵を受ける代償として、厳しい環境と共に生きていく宿命を背負いながら生き抜いてきた集落なのだ。

良くも悪くも、高速道路や、新幹線といった公共交通のインフラとは縁遠い串本は、今も昭和ののどかな風情と佇まいが残る貴重な港町。湯から上がり、町並みを歩くといたる所に懐かしさを覚える。そんな串本で、すきっ腹を満たすためにと、横丁の居酒屋に飛び込んだ。まずは生ビールで乾杯、そして白飯に今朝上がったというクエの刺身を注文。これは、東京ではめったに食べられない幻の魚だ。それと、気さくな笑顔が印象的な板さんのお勧め、海豚を頂いた。これも旨かった。

海豚は、厳しい自然環境の中、この地で生活してきた人々にとって、生きるために必要となる貴重な食材のひとつとされている。しかし、この地方(漁場となる大地町は串本から程近い)で長年行われてきた海豚漁が、最近公開された海外のドキュメンタリー映画で取り上げられ、一方的に蛮行のごとく扱われてしまった。そこには、本来紹介されるべき、歴史的な背景や、厳しい生活環境の中でで生きるための捕食であることなどは、意図的に紹介されてはいないという。

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生きるために漁をする、牛や豚といった家畜を育てる。何が違うのだろう。しかも、人間の果て無き欲望のために、壊され続けていく自然環境に翻弄され、絶滅する生物は後を絶たない。人間とは、地球にとって本当に厄介な生き物だ。

俺は思う。すべての命、その重さには寸分の差もないと。欧米では、遊びで動物を殺すハンティングをする人あり、海豚や鯨は知能が発達した哺乳類だから、特別に可愛いがり、保護するべきという意見もある。いずれにしても、身勝手な話だ。本来、捕食とは生き残るための最終手段。この動物は可愛いから食べない、でも鹿は遊びで撃っていいし、牛や豚は家畜にする。いつから人間は、命を玩び、奪う、奪わないかを、選り好みできるほど偉くなったのだろう。

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食べる分だけ獲るために漁へ出る。そして、食卓では恵みに感謝する。それは、海豚漁に従事する方々も同じ気持ちだと思う。命を奪う瞬間となる漁は、残酷なシーンとなることは避けられない、そんな海豚漁をしている瞬間が、生々しく映し出された作品など、俺は見る気もしない。まともな神経なら、撮影どころか、現場など見てはいられないはずだ。

映画の趣旨は、日本人の蛮行を公にし止める為という。が、実際には、商業的に世界中で公開され、製作者は、利益を得ている。となると、海豚を食べはしないが、金儲けの手段には利用してもいいという考えになる。そう思うのは俺だけだろうか。

撮影は、外人観光客を装ったクルーによる、隠し撮りが多く含まれているという。自分が、肌で感じた串本の人たちは、とても暖かく、人情に溢れていた。そんな人たちの好意を利用して、漁の現場を案内させたのだと聞くと心無いのはどっちなんだと...結果として、知らぬ間に撮影の手伝いさせられた人達の気持ちを思うと、本当に腹が立つ。

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この映画は、日本国内で上映するしないで問題となったが、真面目に日本国のために働く漁民の尊厳を傷つける作品に対して、情けないことに日本政府は無関心。表現の自由は筋として、映画は事実に基づいているのか、卑怯な隠し撮りは撮影許可を得ていたのか。そして、肖像権侵害の有無などの精査すらしようとしなかった。要は、行政は国民を守るために動かない。何時もの事だが、肝心なときに全く頼りにならないのだ。

これは、荒れ狂う外洋で、テロと戦いながら、調査捕鯨をしている日本の船を護衛する特別立法を、危機感の欠如から、呆気なく見送ってしまう民主政権の弱腰体制の常。これじゃ、外国から腰抜けといわれても仕方ない。

口蹄疫の問題にしても、県の種牛は、発病した牛が同じ牛舎に飼われていても特例で生かすが、民間には、例外は認めないという農林水産大臣。当の牛を育てた畜産家の言葉からは、牛を病気から守るために、ここ数ヶ月に渡り、寝食も惜しみ、懸命に伝染しないよう、すべてを賭け働いていたことが分かる。その思いには、心を打たれるほどの強い意志を感じた。畜産家の一念だろう、この牛舎では、発病はなかった。それでも例外は認めないと一蹴、精密な科学的検査をするチャンスすら与えないのだ。挙句の果てには、処理しないなら移動の許可を出さんと宮崎を恫喝。10年、20年と丹精を込め育てた牛を、宮崎県の畜産のために生かしたい、寄付してもいいという畜産家の男気が汲めない底浅な器、病理学的な知識は小学生以下としか思えない発言ばかりの大臣。止めは、殺処分の後、理解に感謝の意を込めて畜産家に会いに行くという無神経さ、順番が逆だろう。理不尽にもほどがある。

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参院選では、アジェンダと叫ぶ政党が躍進した。「何だアジャコングとは?」とTV番組で問われた、みんなの党代議士は言った、「アジャで今年の流行語大賞を目指します」だと…収録に同席していたゲスト、観客皆が唖然、呆れ返った司会者は苦笑するしか無い状態に。個人的に世話になった、同党の候補者がいるだけに、俺は笑えなかった。とにかく、日本の政党、日本人だろう、党の方針、戦略に訳の分からん英語タイトルをつけるのは止めた方がいい。今、日本政治の人材不足は本当に深刻だ。

自分が耳を傾ける気になる数少ない政治評論家、三宅さんの言葉を借りれば、今回の参院選には、血税最大の無駄となる、なれの果てタレントの立候補が目立ったという。確かにそうだ、一人年間1億円以上の歳費がかかる国会議員。複雑極まりない日本を取り巻く国際情勢、危機的状況にある国内問題は山積している。今、最善の策を見出すには、凡人には諮りかねる英知、経験が必要であることは明白。誰もが出来る仕事では無い。軽薄に弁えも無く立候補しないでほしいと俺も思う。国民目線で...当たり前でしょう。もちろん、愛やスポーツだけでは日本は救えないのだから。

政治家としての資質を全く持たない人間が、分不相応に次から次へと筍のように出続ける日本。世襲制に、代議士になれば約束される高額給与と特権がよくない。すべてとは言わないが、半分は、定期的なチェックによる成果性にするべきだろう。というのも、受かると何してるのか分からん奴が多過ぎる。今最も仕分けされるべきは代議士なのだ。そうはいえ、結果的に、知名度で当選した議員が出るということは、有権者はもっと問題意識を持つべきかもしれない。最近よく指摘されている国民の危機感の薄さは、今や日本人の最大の弱点なのかもしれない。