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笑顔
2011.07.30

 震災から3ヵ月が過ぎて、刻々と変化する大気中の放射能汚染を緻密に予測するスピーディというシステムが日本にあることを知ることに。
 
 驚愕の真実がそこにあった。
 
 原子炉冷却機能停止、メルトダウン、そしてスルー。津波が原発を襲った7時間後には、コントロール不能に陥った原発は、放射能漏れを起こし始めていたのだ。自己管理も出来ない首相に危機管理など期待できるわけもなく、東電任せの対応も後手々々に回るばかり。現場は、時間との戦い、困難な作業に追われていた。呆れるのは、作業の邪魔になることすら読めない管が、格好をつけに原発視察に行くものだから、生命線とされていたベントが遅れ、恐れていた水素爆発が発生。事態は手の付けられない危機的な状況に追いやられてしまった。

 この時、政府は深刻な大気汚染による被爆をスピーディによって把握していたにも拘らず、地域住民に伝えることはなかった。実は、原発の風下に位置していた米軍の艦隊が避難を始めたのは、管の到着時間に重なる。何故ならば、この時は北西の風。陸から海へ吹いており、ベントを行っても近隣住居地への放射能汚染は最小限に抑えることが出来る。同じくスピーディを持つ米軍は、予報されていた陸地へ向かう東風に変わる前に、ここでベントに踏み切ると読んでいたのだ。

 ベントの遅れから、水素爆発した後。風向きが変わり、陸地へ放射能汚染が進むことを知っていながら、公表しなかったことを、菅はパニックを回避するためと嘯くが、この隠蔽は殺人行為に等しい。高濃度の放射能が確実に飛散し、深刻な汚染が迫りつつあるという真実を知らされないまま、被災者は電気、ガス、水道といったライフラインを完全に失い、余震の不安に耐え、生き延びていたのだ。そして、救出活動に出向いた警察、消防、自衛隊員も、何の防護もなく、現地で事態の収集に奔走していたのだから。
 
 実は、俺も当事者。震災から10日後、そんな事実を知るよしもなく、原発事故の風評の影響から救援がままならない原発に近い町で炊き出しをしていた。だから、俺の呼びかけに手伝ってくれた友人、社員には、良心の呵責を感じるし、この隠蔽工作には、本当に腹が煮え繰り返る思いがある。
 
 時折小雨降る中、早朝から準備して、心ばかりの炊き出しを始めた。気が付けば長蛇の列、その中に佇む一人の男の子が、食膳を両手に抱え満面の笑みを浮かべている。俺は横目に見て「来て良かった」と思いながら、料理に追われていた。しかし、その子は再度、手を伸ばしたらしく、「一人一膳なんですよ」と地元のボランティアさんが制する声が響くと、驚いて手を引っ込めてしまった。しばらくすると、怒られると分かっているはずなのに、また両手を伸ばした。偽りのない真直ぐな眼差しで。

 空気が俺に声を掛けさせた「もう食べてしまったの」。すると、その子は言った「ううん、弟と妹に…」。俺はもう一度聞いた「そうか、でも君もお腹がすいてるんだろ?」その子は、口を真一文字にして俯いた。
 
 その子の小さな手に持てるだけの食べ物を渡した。そして、ご苦労さんと言うと、その子は、笑顔を返すやいなや、あっという間に走り去った。きっと家族のもとへ帰ったのだろう。今も、その笑顔を今も忘れることが出来ない。何故ならば、俺がこれまで見た最高の笑顔の一つと思えるからだ。稚拙な政治のせいで減り続ける日本男児も、まだ絶えてはいないのだ。
 
 炊き出しの最中、力不足な自分は、ふと無力感に苛まれていた。消防車が、大音量のアナウンスしながら、被爆の影響を抑えるヨウ素剤の配布に巡回する被災地には、当たり前だが、笑顔が消えたままの姿。だが、この子の笑顔に俺は救われた。

 
 日常的に使っていたインフラが崩壊してみると、これまでの生活がいかに奢侈贅沢なものか実感したと聞くも、被災地の現状はそれどころではなかった。物資も満足に届かない、買出しに出掛けたくてもガソリンがなくクルマが使えない。最悪なのは、本来陣頭指揮をとるべき地方自治も機能を失っていたことだ。快く手伝ってくれた地元の青年が、俺に怒りの矛先をぶつけてくる「炊き出しをしようと、自治体に提案しても動かない、窮地で踏ん張るべき議員が我先に非難しているんだ」という。彼らの言うとおり、被災地で窮地に立っていたのは、放射能が降り注ぐことに怯えながらも、逃げる術のない住民であった。
  
 一向に復興の糸口すら見えない今、気になってテレビの国会中継を見ると、私語にヘラヘラと笑う管の姿がそこにあった。居眠りしている議員多数。止めは、野党のちんけな詰問に大臣が泣き出す始末…国難を切り抜ける議論とは程遠い、陳腐な中傷合戦ばかりに浪費される時間。俺は改めて感じた「愚者が、飯事のように政に興じるこの国に未来はない」と。
 
 今、過酷な環境の中、瓦礫を撤去する仕事に従事している多くは、被災者だという。日当はわずか1万円余り。ならば、くその役にも立たない国会議員は、全員瓦礫の撤去へ行くべきだと俺は言いたい。今、国難は現場にあり、再生に必要なことは行動。日当の30倍超の経費を日々国会議員は浪費しているのだ、今すぐに瓦礫の撤去作業へ行き、30倍働くべきである。それが公僕の今すべき仕事というものだろう。
 
 事実を耳にするだけでも心が痛むが、強制非難を強いられたエリアの動物は見捨てられ餓死し、強制退去を最後まで拒んだ老人の中には自ら命を絶った方も少なくないと聞く。何故だろう、ヨウ素を配布していた消防のアナウンスも40歳以上は受け取れないと言っていたように、60歳以上の高齢者に、放射能の影響、寿命を考慮すれば、人生の終焉を住み慣れた家で迎えるという選択もあっていいはずだし、被爆の影響より、まずストレスによる心労を与えないような配慮をしてあげるべきだろう。

 可愛がってきた動物を捨て、思い入れの強い町を離れたくないという当然の思いを叶えることは、やる気になれば絶対に可能である。必要な物資の供給、破壊されたインフラの整備は、事故の加害者である菅、いい加減な原子力政策を進めてきた官僚、そして無能な天下りの東電役員が、現場で土木工事、食料の供給、動物の世話に直接あたればいいのだ。そのくらい、言われなくてもできるだろう。権限を持つ彼らが、本物の日本人ならば、良心の呵責を感じて、すでに動いているはずなのだが。
 
 今も多くの名もなき英雄達の地道な復興支援活動が、被災地に多くの笑顔を与えていると聞く。この国難にあってもなお政治家個人の保身優先に停滞する政治。赤字国債の発行の前に、年間300億円を越える究極の税金の無駄たる政党助成金を、全額被災地支援に当てるくらいの気概を見せる政党が現れないことに対して、大きな憤りを感じるのは俺だけだろうか。

 物には順序というものがあるはずだ。被災地に本物の笑顔が戻ってからだろう、国の首相たるものが笑みをうかべる時とは。