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独立自尊、力なき正義もまた無能なり
2013.04.01

 経済の立て直しを御旗に政権奪還を果たした自民党。まず着手したのは、デフレ、そして数十年ぶりに貿易赤字に転じた元凶とされる円高対策だ。理由は無能な政府、小心で世界観に欠ける鈍感な日銀の凸凹コンビが愚作を繰り返した結果、スピーディな国際経済に完全に乗り遅れ、日本経済は低下の一途を辿ってしまったからだ。

 阿部首相は、欧米の中央銀行が、事あるごとに使う通貨の量的緩和を、政府主導で2%のインフレを達成するまで継続的に行うと、国際社会へのメッセージを送った。さすがにこれは効いた。為替は、一ヶ月たらずで、約20%円安へ動いたのだから。

 国家のリーダーが放つ明確な意思、政策は、経済に大きな影響を与えるものだ。民主党政権下、視界ゼロまで淀んだ日本の空気が、一転した事は間違いない。ただ、ドルやユーロのような基軸通貨ではない円の大量発行は、急速に行き場のない紙切れに成り下がり、インフレに歯止めが利かなくなる可能性も否定できない。というのも、為替レートの急激な円安反転には、実体経済の反映はなく、金儲けに人生を賭けて争うファンドがコントロールしているに過ぎないからだ。過去には、同様の政策に米国ですら失敗し、インフレの暴走に経済が急降下したこともあるだけに、油断は出来ない。
 
 それはともかくとして、今俺が一番気になるのは、危機的な状況にある国防だ。日本は、第二次世界大戦後、憲法を一度たりとも改正していない。しかし、これは時代の変化に俊敏に対応すべき先進国としては、非常に奇異なことであり、共に敗戦国として、小学生の作文のような憲法を、占領軍に押し付けられたドイツは58回、イタリアも15回改正を行ない、独立自尊国家としての歩むべき道を、自国民によって制定した憲法に基づき進み軍隊を保持している。だが、日本は憲法によって、いまだ作ることが出来ないのである。
 
 先頃、領土問題に揺れる南シナ海で、中国海軍の戦艦が、領土紛争国たるベトナム船籍の漁船を襲撃、民間人の漁師が負傷したという。知ってのとおり、日本も中国とは尖閣問題を抱えており、対岸の火事で済まされる問題ではない。いずれ日本も、中国と戦闘を交える日が現実となることが、今の政治体制を見るに避けられないことを、俺は予感する。

 しかし、国防の要たる自衛隊は、占領軍の都合で作られた憲法の基、法律上、国内の治安維持が使命となっている警察と大差ない範疇の活動に限定されているのが現実。急速な軍備拡大を続ける中国軍とは、とても互角に対峙できる状況にはない。

 一つ具体的な例を上げるとすれば、現行の海上保安庁法では、他国の公船は領海内でも取り締まりの対象外なこと。法改正をしないと、公船が日本国民に危害を及ばした場合も、これを犯罪行為として取り締まれないのだ。とすると、領海内であっても、日本漁船の拿捕を防げないことになり、もし中国海上警察局部隊が、中国漁民を伴い尖閣上陸を強行した場合であっても、現行法では、軍による侵攻とは異なるとの解釈から、警察権の行使のみとなり、自衛隊の投入は困難となる。事は深刻であり、日米安全保障条約第五条の適用外にもなることから、米軍の支援も受けることは出来ないのだ。となると、竹島の再現、非常事態が起こり得るということだ。中国は、中国海上警察局部隊を前面に押し出すことによって、中国よりも戦力的には優位な日米の海軍力を抑制し、その隙に海軍力を高め、攻勢に転じる機会を虎視眈々と狙っていると考察すべきであろう。

 今の自衛隊は、警察同様“一定条件を満たした時にのみ”作戦を遂行出来るという、いわゆるポジティブリストのルールの下にある。だが、他国の軍隊は、“してはならい一定のルール”このネガティブリストさえ守れば、防衛、使命達成のために、現場で判断し行動してよいことになっている。理由は簡単、戦場の状況は刻一刻と変化するもので、勝敗を分ける状況分析、命が掛かる決断は、その場で戦う兵士に裁量に任せる必要があるからだ。

 大戦後、世界は資本主義と社会主義に分かれ冷戦時代に入った。日米安保は、同盟国の証として米国より我が国へ押し付けられた条約ながらも、表面的には機能はしてきた。だが、時代と共にすべてが変わり、日米にとって経済的に共存繁栄を分かち合う中国が、新たなる脅威となると、治安維持と利害の絡む外交戦略が、日米安保に悪影響を与えるようになり、安保ありきの自衛隊組織では、国防の責務を果たせないという危機的状況に直面するに至っている。さらに、大きな問題は現場にある。それは、日本人の多くが理解していない、集団的自衛権の価値を、米軍兵士が重視していることだ。他国(とくに米国に対するの侵攻)の有事に自衛隊が共に戦わないことを知っており、心情的に、命を掛け日本のために戦う気にはなれないのだ

 独立自尊で戦えない自衛隊は、現憲法下では、両手両足を縛られながら、同じルールで空手の組み手に挑むようなもので、世界有数の重装備を誇りながらも、他国から侵略を受けても、その能力を100%発揮することは叶わず、勝敗を決する戦略的な戦闘は不可能に等しい現実がある。今、国家存亡の危機にあって、憲法第九条の改正が待ったなしの状況にあるとされる一番の理由はここにある。

 さらに、ジュネーブ条約においては、自衛隊も軍隊に位置づけられている。だが、日本国憲法では、領土内において、自衛のためのみに戦闘する集団と定められており、軍人としての国際法上の権利は極めて危うい。これは深刻な問題で、戦争相手国の捕虜なった場合、軍人として認められず、単なる殺人犯として扱われてしまう可能性を生み出すことになるからだ。自衛隊員は、そんな憲法下で、命を賭して戦うことなどできるはずもなかろう。

 憲法第九条の改正は、日本人として、未来の子孫へ国を受け継ぐために、今しなければならない国民の責務なのだ。占領軍によって、国歌国旗の制定すら許されず。自国を愛し、守るものという教育から遠ざけられてきた日本人。敗戦後、戦犯として惨めに甚振られた歴史を、今こそ自ら頬を叩き、思い起こさなければならない。でなければ、戦争の犠牲となった日本人の魂が報われないではないか。

 戦争放棄と平和をどれほど声高々に叫んでも、尖閣は奪われ、戦争による侵略から逃れることは出来るわけもなく、負ければすべてを失うという現実を、直視しなければいけない。だからこそ、有事に備え、国際法に基づく国防を行使できる国として、抑止力となる軍隊を持たなければならない。だから、憲法へ改正が必要だと俺は思う。

 そして、集団的自衛権の行使を可能とすることも、戦わずして侵略から国を守ることに繋がる重要な案件だ。紛争地域でも平和維持のために共に戦うことは出来ない自衛隊は、物資を運んでくるだけと、同盟国から舐められている現実がある。軍事的に国際貢献が可能となれば、共に戦う同士として、真の意味で肩を並べることができるようになるだろう。また、共に戦うことがない日本は、米国と同じテーブルで安保を語ることなどできるはずもない。だからこそ、集団的自衛権の保持は、不公平かつ、時代遅れな日米安保条約の修正にも大きな意味を持つことは間違いない。

 平和な国家とは、齎されるものではなく、勝ち取るものだ。それは、世界中の人間に通じる共通の価値観であって、他国で仕事をし、生活をしてみるとこれはよく分かる。だが、残念ながら日本人は、閉鎖的な島国に住み、GHQの洗脳教育によって独立自尊の精神を失ってしまったように感じる。そして、戦後の驚異的な経済発展も豊かになったことも、負け組みとなり、取り残されつつある現実を受け入れられない要因かもしれない。

 しかし、今からでもけっして遅くはない。日本再生の鍵は、未来を築く子供たちへの正しい教育にある。そのためにも、憲法第九条の改正が国民の責任、急務であり、これこそが日本国の未来の礎となることは、誰もが疑いようのないない事実といえるだろう。