厳しい自然と豊かな恵みに生きる海町、串本港で感じた人情

何年も前のことだ。昇り鰹を追って、荒ぶる高波の中、高知から横浜港へ向け小さな漁船に乗ったことがある。天候は雨、紀伊半島までは、3mを超える高波と強烈な東風に小船は翻弄され、視界もなく、レーダーに頼っての航行は、針路を維持することもままならず、速力を上げられない苦しい航海であった。もちろん、そんなシケの中、とてもカツオ漁どころではない。中継基地となる串本港へやっとの思いでへ辿り着いた頃には、空暗く、入港予定時間を2時間あまりオーバーしていた。

それでも、防波堤に守られた港内に入ると、バウの日本国旗は暴れ続けてはいたが、外洋の強風と荒波が嘘のように静かに感じた。生きている。それだけでホッとした。仕事の合間、今も少ない休日に向かう大海原では、人生の大半を無心に戦ったレースや、趣味の空手以上に恐怖心を感じる時が多々ある。海、大自然とは、人知など到底及ばぬものと、あらためて痛感した一日であった。

串本で過ごした時間は短かかった。明朝4時の出航へ向け、乗員全員手分けして、燃料の給油、船体の点検に釣具の整備と、港でも仕事は終わらない。8時を過ぎて、ようやく一段落。船員皆で銭湯へ走った。もう春とはいえ、雨、波にびしょ濡れになった体はすっかり冷え冷えに。そんな時は、暖かい風呂が何よりだ。荒波を乗り越えた安堵と共に湯に飛び込むと、思わず仲間全員の唸り声が上がる。

串本は、鰹の一本釣り船団を束ねる母港として、昔から名を馳せる歴史ある港町。その理由は、本州にありながらも、南へ大きく張り出した紀伊半島の最南端に位置していることから、歴史的に鮪、カジキ、そして鰹と、回遊魚が辿る黒潮の通り道に近いことがその理由だ。

だが、その反面、場所柄一年を通して風雨が強く、シケることが多い荒ぶる海に依存する生活は、決して楽ではないという。自然の豊な恵みの恩恵を受ける代償として、厳しい環境と共に生きていく宿命を背負いながら生き抜いてきた集落なのだ。

良くも悪くも、高速道路や、新幹線といった公共交通のインフラとは縁遠い串本は、今も昭和ののどかな風情と佇まいが残る貴重な港町。湯から上がり、町並みを歩くといたる所に懐かしさを覚える。そんな串本で、すきっ腹を満たすためにと、横丁の居酒屋に飛び込んだ。まずは生ビールで乾杯、そして白飯に今朝上がったというクエの刺身を注文。これは、東京ではめったに食べられない幻の魚だ。それと、気さくな笑顔が印象的な板さんのお勧め、海豚を頂いた。これも旨かった。

海豚は、厳しい自然環境の中、この地で生活してきた人々にとって、生きるために必要となる貴重な食材のひとつとされている。しかし、この地方(漁場となる大地町は串本から程近い)で長年行われてきた海豚漁が、最近公開された海外のドキュメンタリー映画で取り上げられ、一方的に蛮行のごとく扱われてしまった。そこには、本来紹介されるべき、歴史的な背景や、厳しい生活環境の中でで生きるための捕食であることなどは、意図的に紹介されてはいないという。

生きるために漁をする、牛や豚といった家畜を育てる。何が違うのだろう。しかも、人間の果て無き欲望のために、壊され続けていく自然環境に翻弄され、絶滅する生物は後を絶たない。人間とは、地球にとって本当に厄介な生き物だ。

すべての命、その重さには寸分の差もないと。欧米では、遊びで動物を殺すハンティングをする人あり、海豚や鯨は知能が発達した哺乳類だから、特別に可愛いがり、保護するべきという意見もある。いずれにしても、身勝手な話だ。本来、捕食とは生き残るための最終手段。この動物は可愛いから食べない、でも鹿は遊びで撃っていいし、牛や豚は家畜にする。いつから人間は、命を玩び、奪う、奪わないかを、選り好みできるほど何時から偉くなったのだろう。

食べる分だけ獲るために漁へ出る。そして、食卓では恵みに感謝する。それは、海豚漁に従事する方々も同じ気持ちだと思う。命を奪う瞬間となる漁は、残酷なシーンとなることは避けられない、そんな海豚漁をしている瞬間が、生々しく映し出された作品など、俺は見る気もしない。まともな神経なら、撮影どころか、現場など見てはいられないはずだ。

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