3月11日の地震は、自分がこれまで経験した中で最も大きなものでした。その時、工場で倒れそうになる棚を押さえ、揺れが収まった後には、影響が有得る機械の確認に走った。ふと外を見ると、呆然と立ち尽くす人が多数いるではないか。胸騒ぎがした。何故ならば、揺れ方からして、震源は遠い様に感じていたからだ。
残念ながら数分後に、この胸騒ぎは現実として、多くの人達に降り掛かっていたことを知ることになる。それは、目を覆うばかりの惨状。海で過す時間が大好きな自分にとって、津波はいつも頭の片隅にあるだけに、非難が間に合っていることを祈るばかりであった。
今日で震災から三日が過ぎた。節電の呼びかけに応じ、電気使用を制限、薄暗い会社にいて、救援が困難な状況に直面していると聞くと、節電くらいしか出来ないことに、無力感に苛まれる自分がいる。この非常事態に狼狽し、役に立たない。いや、それどころか、視察のヘリで居眠りする輩もいる。このまま傍観していたら、俺はそんな国会議員達と、大差ない存在となってしまうのではと身震いがした。
普段から、品のないバラエティばかりのテレビを見る機会は少ないが、ニュース番組の質の低さにも、今回は呆れを通り越して、腹が煮えくり返った。というのも、ある番組で、インタビュアーは、家族と生き別れたばかりの方に対して「どうやって逃げたの」と、信じられないような質問を投げた。すると、お年寄りは、長い間をおいて答えた「あっという間に津波が家の中へ、水が溢れて、なんとか母ちゃんの手を引いて二階へ上がろうとしたけど、気が付いたら、握っていた手を離してしまって…母ちゃんが、いなくなった」と、涙ながらに悔いている姿に、思わず拳を握っていた。もし、そのお年寄りが、自分の祖父であったら、この取材はできるのか?出来るわけがない。
できることをしよう。今日、社を上げて炊き出しへ出向く準備を始めた。理由は、納車を待っていたお客様が、連絡も取れなまま予定の日に来られなかったのだが、その方は、福島原発の事故後、避難勧告を受けて無事帰京されたと、後日に電話を頂戴したから。下道であれば、被災地へアクセスできることが分ったのだ。
もう一つ気掛かりな事は、猫や犬といった人間と共に暮らしていた動物たちが、今どうしているかだ。空腹、怪我をして怯えていることも考えられる…それどころではないことは承知しているが、もし現場に辿り着けたなら、たとえ短い時間であっても抱きしめ、食べ物だけは与えたい。
現地は、まだとても寒いようで、ライフラインが機能していないとのことから不自由な避難所生活を強いられている様子。だから、せめて一杯の蕎麦でも、温かい食事を用意したいと思う。ただ、今、勝手に動いても迷惑となる場合も有得るだけに、ここ数日、慎重に情報を集め準備を進めて行く予定です。何か、有益な情報があれば是非お知らせ下さい。ご協力頂ければ幸いに存じます。
宜しくお願い申し上げます。