臥薪嘗胆

今年も残すところ一日となり、新しい年を迎えるに際して、最後の勤めとして箪笥から祖父の代から伝わる国旗を出し、庭へ掲げる準備をしている。激動の予感を覚える世界情勢だからこそ、臥薪嘗胆、来るべき有事に備え、僅かながらも穏やかな一時を過ごしたいと思う。

先日、海外出張した際に目にした一冊の雑誌にアメリカの教育問題が取り上げられていた。自分にも試験勉強の経験が少なからずあるが、日本の教育手法とは大きく異なる海外にあって、格差の広がりが深刻化しているのだという。自分の世代は詰め込み教育が王道、例えば鎌倉幕府の年号を記憶することに意味があったのか、今も大きな疑問だ。それよりも、幕府の成り立ち、意義、問題など、想像力をもって考察させる試験であれば、日本文化に対する興味は深まり、愛国心、日本人としての志を幼少期から持つことが出来たかもしれない。意外なことであったが、海外へ出てみると、日本人以上に日本文化へ興味を持つ外国人が多いことを知ることになる。つまり、先進国の多くは、教育において、自国文化を学ぶことに重きを置いており、教養、道徳、愛国、独立、防衛することの重要性の認識へと導いているのである。

本来、教育とは記憶力を高めるよりも、個性を活かし、変化に柔軟に対応する英知、行動力を育成するべきであろうと思う。そして、個人としての自立心と、和として一致協調して戦う強さを基礎に、得意分野を探し当てさせる幅広い選択肢と、スペシャリストとなるための知識の育成こそが、国家としての未来を切り開く唯一無比の原動力となることは間違いない。それだけに、基礎となる高いレベルの義務教育が平等に行われるよう、大きな公共投資が必要不可欠といえよう。

新しい米駐日大使に故ケネディ大統領の娘、チャーミングな笑顔が印象的なキャロライン女史が赴任しているが、歴史に残るケネディ大統領が残した功績は言うまでもないが、個人的にも大統領の残した演説の一文に、大いなる感銘を受けたものがあるので紹介したいと思う。

「突き詰めれば我々人類は、共にこの小さな惑星に暮らし、同じ空気を吸い、子供の幸せを願いながら生きている。しかし、それは等しく、すべて限りある命なのです」

50年前の演説だが、現世界の混迷を予見していたかのようにも聞こえる。冷戦下、核戦争の脅威を辛うじて回避した人類は、これまで経験のない新たなる危機、加速度的に進む環境破壊に直面しているのだ。助け合って生きていかなければならない状況にあり、傲慢な国家主義はもはや通用しないことは明白である。人種、宗教、国境を越え、意見が異なるもの同士も協力し、国、家、故郷たる地球を守る時にあると俺は思う。

来る新年が、皆様にとって良い年となりますように。

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