粕谷俊二のオフタイム:2025年は成すべきことを仕事に活かそうと思う

南西諸島に位置する奄美大島、そして徳之島には中新世にルーツをもつ世界的にみても稀な原始的形態を残す固有種となる兎(アマミノクロウサギ)が辛うじて生き残っている。大陸から切り離された島には外敵も少なく、人間の入植が始まるまでは手つかずの自然の恵みに支えられ緩やかな進化とともに化石のように暮らしてきたが、昭和時代に入ると環境破壊が進み20年程前には2,000羽程度まで個体数が激減。絶滅危惧種にリストアップされ、特別天然記念物に指定されている。長く存在そのものが謎に包まれていた野兎は、偶然研究に訪れた一人の学者が事態の深刻さに気づき、孤軍奮闘、後に20年余りに及ぶ保護活動を始める。すると、その我を捨て献身的に取り組む姿勢に心打たれた島民へ保護活動の輪は次第に広がり、現在では生息数が4万羽まで回復し自然な生態系へ戻りつつあるという。だが、その反面、かつて人間の都合で持ち込まれながらも生態系を壊すという理由で駆除されたマングースの犠牲があって齎された安息と聞くと、つくづく人の浅薄な営みには溜息が出る。

質素な佇まいの初老学者は、草臥れた軽トラに自ら創意工夫で組み立てた研究機材を積み込んで山へ入る。生態の保護と研究の両輪の成果は、自然と共生するべき命の本質を突き詰め、学会を通して環境保護の必然性と気候変動に警鐘を鳴らす世界中の識者から注目を集め、リベラルな識者から賛同を得ているという。成功する確証もなく20年続ける根性、自己の犠牲をものともしない気骨ある日本人の脳裏に浮かぶ未来像は、可憐な野兎を救っただけではなく、地球を存続させる道標となりつつあるようだ。久々に日本人も捨てたものじゃないと少し安心もするが、忍耐と代償を払ってでも温暖化を止めねばという危機感は、分厚いステーキを食って、でかいクルマに家を持ち、人生を謳歌するに経済成長を渇望する諸兄には届くまい。だが、地球上で唯一経済成長を望み、恩恵を受けるのは人間だけであって、他のすべての生き物は過酷な犠牲を払うだけであることを忘れてはいけない。

では、俺はどうしようかと考えるに、まずは自然と共にしか生きることのできない命に迷惑を掛けないように仕事、生活を通して温暖化の抑止を心掛けることとした。とはいえ、スポーツカーの部品を開発する仕事だから簡単なことではない。それでも、化石燃料の利用頻度、素材の再利用、量の削減、高効率化を進めることはできる。労力を惜しむことなく、知恵を絞れば環境に配慮できる工程は多々あるはずだ。

自動車は、内燃機はもちろんハイブリッド、モーター、水素、どれをとっても使用、生産過程ともに環境への負荷が大きい。そこで自分は短絡的に高効率のクルマへ乗り替えるのではなく、運命の出会いともいえる愛車の排出ガス量が最新モデルに比べ仮に少し多いとしても、走行距離を制限したり、廃棄による環境破壊を抑えることで相対的なメリットを生み出したいと思う。

ともに年輪を重ね、愛着が増すクルマがある。整備には少なからずコストは掛かるが、自分の好みに合わせたカスタマイズを施し、性能を高めることによって生まれる個性を楽しむユーザーは少なくない。弊社では、電子制御デバイスのリファイン、官能的なサウンドを奏でるマフラーに視覚、質感を楽しませてくれるドレスアップパーツ。そしてDIYを楽しめる細かなアクセサーもあるが、今最も力を入れているのは車両を維持する上でストレスとなる製造廃止部品に代わる製品の製作。数年前から始めたプロジェクトだが、予想外であったが世界中から反響があり、需要に応じてバリエーションを増やす予定である。ガレージで眺めているだけでも楽しめるクルマ作りも良いではないか。

レースの世界に長く身を置いていたので、スピードの限界を攻める、競争、走ることの楽しさはよく知っているし、大きな利益を生み出すビジネスであることも承知しているが、一方でモータースポーツは百害あって一利なしとの意見が増しているのも事実だ。その渦中にあって、バーチャルゲームの革新的な進歩にカーレースの未来を俺は感じる。どちらにしても人の能力以上に道具の優劣が勝敗を決するだけに、スポーツというよりもショー的な要素が強いのだ。であれば、温暖化が危機的状況にある今こそ自動車競技をバーチャルの世界へバトンを渡す時が来ていると思う。だから自分はモータースポーツから離れる。微々たるものだが温暖化を抑えることに貢献はできるだろう。不要を省く、個人にできることは小さな積み重ねしかない。

世界を揺るがす地政学的リスク、格差が広がり続ける欧米では、地球温暖化防止を叫び利他的に活動してきたリベラル派は、見えてこない明るい兆しと共に疲弊し、保守を通り越した右派が台頭している。だが、より深刻なのはḠ7に名を連ねながらも孤立し迷走する日本は、巨額の財政赤字を積み上げながらも税金の徒費、政党助成と議員経費は世界一レベル。一時が万事、このままでは国はもたない。国民の理想、規範となるべき人、選ばれし聡明なリーダーが立つべきだが、現実は真逆の烏合で溢れている。その最たる者は、ノーベル平和賞を受けた被団協の表敬訪問を受けた石破首相だろう。代表団は、授賞式に行く資金にもことかきながらも、帰国直後に核兵器禁止条約締約国会議への参加を促す、絶好の機会を逃すまいと官邸を訪問した。だが、面会の後に被爆者でもある80歳を過ぎた代表は首を傾げ「話にならん」と落胆した。以前オフタイムで、唯一の被爆国でありながらも核兵器禁止条約締約国会議へ参加すらしない日本政府に対して、異議を唱えるサーロー節子さんの生涯をかけて立ち向かう活動を記しているが、日本の首相たる者が備えるべき最良の機運を活かす先見の明、そして指導力の欠如をさぞ嘆いていることだろう。実際、日本は今年も米国の顔色を忖度し参加を見送った。同様に核の傘下にあるドイツが参加しているだけに、ノーベル平和賞をとってなおも不参加となれば、国際社会から日本人が腰抜けと言われても仕方があるまい。石破首相は、総裁選の公約に日米地位協定の破棄を掲げたが、トランプ大統領が交渉相手となり、さらにチャンスは拡大したように見えた。しかし、被団協の対応を見るに有言不実行に終わるだろう。日本を含む敗戦国は、米国の占領下に不条理な地位協定を強いられた。だが日本以外は、とうの昔に破棄されており、終戦から80年が過ぎ、子供を含め多くの被害者を繰り返し出し続けながらも、情けないことに日本政府はこの差別的な協定を破り飛ばすことはおろか、恥じることもない。それだけに、命の続く限り原爆のない世界の実現へ向けて活動を続けると、力強く語る被団協代表の立ち向かう姿勢を見るに、野兎を救った学者しかり、改めて人として、日本人として成すべきことを諭されているように思うのだ。

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