粕谷俊二のオフタイム:人間の犠牲にしてはいけない。すべての生き物には生まれ育った自然と共に天寿を全うする権利がある。

18世紀に起こった産業革命以降、加速度的に拡大し続ける人間社会。しかし、自然の摂理に背き破壊することで進化し続けてきた人による人のためでしかない文明は、すべての生命がもたれあい互いを育む自然にとって、地球上で最も厄介な外敵(人害)でしかない。とくに野生動物にとって環境破壊の影響は深刻で、毎日多くの種が絶滅し続けている。

自然がもたらす豊かな恵の有無は、とりわけ大食漢の大型動物にとって存続に関わる重大問題。日本ではその頂点に立つ熊は最も深刻な影響を受けている。それでも頑張る熊の生きる術は、本能と直感、経験的な学習だけが頼り、とくに子供をもつ母熊にとって生きる理由と勇気の源は子供を命懸けで守る使命感だけかもしれない。だが、人間によって破壊され、自然の恵みが枯渇しつつある森林に暮らす熊が直面している飢餓は、日々深刻さを増しているという。ゆえに危険を冒してでも人里に降りるしかないという苦渋の決断は、死から逃れる唯一の抜け道、他に選択肢はないのだ。

しかし、日本では本来被害者の野生動物、とくに熊を害獣として信じ難い数(1万2千頭以上、日本国内の推定生息数の30-50%とされている)の命を奪い続けている。確かに人里へ下りてくる熊は増えている。だからキノコ採りで、早朝の散歩中、新聞配達員が熊に遭遇する事象が起こり結果として13名が亡くなった。だが、理由は人による森林破壊。殺人を犯した熊については殺処分とすることは理解できるが、被害に対して殺された熊の数はあまりにも多すぎる、私の眼にはガザで起きているジェノサイドに重なって映る。熊の生息エリア付近では、注意喚起が繰り返されていただけに遭遇を避ける手立てをもう少し考えていれば事故は防げたのではと首を傾げる専門家の意見もある。

この事態は、国際的に報道されているが、あまりにも多すぎる殺処分に対して非情な虐殺行為であると日本の行政による行為を弾劾、世界中から大きな非難を浴びている。日本のように例外国もあるが、人様に危害を加える可能性があるというだけで、無知、無慈悲な殺処分は正当化されてはいない。とくに、環境破壊を止め、野生動物の保護に尽力している国際社会の立場から非常識と批判されても致し方ない。それは、報道番組の扱いの違いにも表れているが、国内で流れるのは稚拙な熊出没報道ばかり。いたずらに恐怖を煽り、本来罪のない熊に取り返しのつかない代償を負わせているという事実を正しく伝えていない。命の尊さに鈍感な日本行政、その対応が日本人として恥ずかしく、安易な殺処分を止められないことは慙愧に堪えない。

人に危害を与えることが熊の目的ではない、ただ空腹に喘ぎ、生きる望みにかけて彷徨っているだけだ。にもかかわらず狙いやすい親子を罠に落とし狙い撃つ。身を挺して子を庇う母熊を先に殺し、次に悲しみに泣き叫び寄り添う子熊も容赦なく殺すと聞くと、その残酷さに身震いがする。突然母を目の前で殺される子熊の気持ち、心身ともにどれほど苦しみながら死んで行くのか自分には想像がつかないが、人間同様に心をもつ熊は、親、子供を殺されれば人を恨み、仕返しを考えるという。一番大きな問題は、人の生活が齎す環境破壊の被害に翻弄されている熊を殺すことに罪の意識がない人が多すぎることだ。そもそも熊の生活圏に立ち入り、未開の森林を壊し身勝手に占領したのは後から来た人間ということを忘れてはいけない。

獣医で写真家として長年熊と向き合ってきた専門家が警鐘を鳴らす。人による森林破壊、温暖化の影響に翻弄されている熊に罪はないという。人が熊の生息域に入り込み畑を作れば、熊にしてみれば自然に生る食べ物と区別はなく当たり前のように食べるだけだ。見方を変えれば畑は人里に熊を呼び寄せ、餌付けしているようなものだし、過疎化が進み廃墟に残された果樹も同じようなもので、実を取に来るだけで人と関わるつもりはないのだ。そもそも熊は滅多に人を襲わないが、子連れの母熊は近寄れば守るために命懸けで戦う、本能だからねと。80歳を過ぎても熊に襲われたことはないのは、熊の気持ちを考えて付き合っているからで、共存が必然の自然界にあって当たり前な事という。それなのに人間様に歯向かうとは何事だと偉ぶり、根拠に乏しく害獣と決めつけ殺してしまう。しかし、熊の側に立って見ると話は逆であって、客観的にみれば考えを改めるべきは人間ではないだろうか。まずは奪った土地、自然を返して共存の道を探るくらいの気持ちをもつ必要があるという。そのとおりだ。

最近中国へ返還された愛くるしい容姿が人気のパンダも熊科の動物だ。毎日のように動向が報じられているが、個人的には野生の仲間が暮らす故郷へ帰れて良かったと思っている。理由はもう一つ、パンダの貸与が政治的手段として利用されていること、さらに有償で年間億単位と高額で受け入れ施設の環境整備にも莫大な費用が掛かるからだ。財政難の日本には税金の無駄遣いでしかない。使うのであれば日本の固有種熊の保護に当てるべきだ。啓蒙教育も必要だろうが、可愛いだけで夢中になるパンダファンの気持ちは分かるが、瀕死の危機にあるヒグマ、ツキノワグマも同じように慈しみに、目を向けてほしいのだ。

世界的な認識は、環境破壊の元凶は人間であって、影響を受け翻弄されている野生動物の保護は社会の義務とされており、例外国はあるが人間と軋轢を生じることがあっても共存共栄の方針は揺るぐことはない。ましてや日本で使われているような苦痛を強いる箱罠は犯罪として規制する国もあり、今の日本の現状は国際社会からすれば虐待が常態化している野蛮な国でしかなく、カナダ、アメリカ、欧州でも熊による被害は同様に起こっているが、殺処分は緊急事態に限定されており、例えばイタリアのアルプス麓で起こった熊被害に憤る住民、自治体、研究者、保護団体があるべき対応について時間を掛けて論じ、意見を司法機関がとりまとめ建設的な方向性を示していた。事故は、山林で熊と遭遇した住民は死亡、後にその熊は安全な捕獲器によって捕獲されたが、殺処分は恨みによる仕返しでしかなく野生動物との共存へ向けた解決にならないとして、ドイツの専門保護施設へ移送され、観察後適切な森林へ放たれた。たとえ人を殺した熊であっても安易に殺されることはない。日本の対処とは大きく異なる。

日本の自然環境は、人を含めすべての動物が生息に適さない状況に傾いているという。このことは、生態系のバランスを維持するに欠かすことのできないアンブレラスピーシーズの軸心に立つ熊が棲めないほど森が荒廃した結果はじまった異常な事象が、これを証明している。国内にも野生の熊がおかれている現状を憂慮し、保護活動を推進している団体、自治体、そして、野生動物との共生の在り方を研究する教育機関がある。とくに石川県、秋田県、長野県、兵庫県、そしてヒグマの最後の楽園とされている北海道の知床の活動には、是非に注目してほしい。日本の未来のために。

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